筆録
 
2010年
 
… 仏さまの乗り物 … 

古今東西を問わず、宗教的な尊像は特定の乗り物に乗ります。そして、動物がしばしばその役割を担います。仏さまの乗り物としてあげられるのが、まずは象です。象は、インドのみならずミャンマー(旧ビルマ)やタイなどでも人々の生活を共にして貴重な労働力を提供し、人間の生活向上に貢献してきました。また、象は人の心を理解する賢い動物であるとして、知恵の神として祀られてきました。このようにとても大切にされてきた動物なので、象を乗り物にするのは仏神に限られてきました。

帝釈天も象に乗っていますが、帝釈天はヒンズー教の神であるインドラが仏教に取り入れられたものであり、インドラは象に乗って外出するとされたからです。といってもインドラは最初は馬に乗っていました。これも理由のあることで、インドラはアーリア人がインドに侵入したときに、最も尊ばれた神でした。そして、他の多くの民族がそうであったように、当時のアーリア人は馬を乗り物としていたからです。仏教説話にはしばしば象が登場しますが、最も有名なのはマーヤ夫人の夢に、天上から白象がおりてきて自分の右脇にはいり、その後釈尊の誕生を迎えたという話しです。この話しからも、象が神聖なものとされいたことがよくわかります。

象と並んで神聖な動物とされているのは牛で、その上には閻魔様が乗っています。地獄の主として恐ろしい閻魔様ですが、本来は天界に住し、人間の善悪を監視する神とされていました。それが、段々に死後の世界の支配者として祀られるようになりました。だから、元々は柔和な顔でした。醍醐寺には、穏やかな表情で牛に乗る閻魔天の画が所蔵されています。中国において道教と混淆(こんこう)し、閻魔大王となっていく過程で、中国の役人の服装で、表情も怒りの形相へと変わっていきました。今、「政治と金の問題」が国会で取りあげられていますが、一日も早く真相が解明されることを望みます。閻魔様は全て観ておられるのです。

さて、仏さまの乗り物となる牛ですが、ナンディン牛(nandi)といって、望みを叶えてくれる牛として神格化されています。また、原始仏教聖典の「ティヴィヤ・アヴァダーナ」には、「聖仙中の牡牛よ、ゆるぎなくまさるものなく清らかな言葉を語って欲しい」という一節があります。(写真は「閻魔天」)
 
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