筆録
 
2007年
 
2月23日(金) 涅槃会(2月15日:お釈迦様が御遷化された日)
胸の痛む事件が、連日のように報道されています。そんな混沌とした世の中であるからこそ、なんとか前向きに生きていきたいと思っています。しかし、プラス思考はそう長くは続きません。「頑張ることにはもう疲れてしまった…。」「緩やかな景気回復といわれているが、我々の生活苦はいっこうに回復しない。これは、弱者切り捨ての景気回復ではないか…。」などと感じてらっしゃる方が多いのではないでしょうか。
お釈迦様は、傷みや苦痛を敵視するのはよそうという、究極のマイナス思考から出発しています。その教えは厳しく難解というイメージがあるかもしれませんが、実は、とても細やかで心遣いあふれる教えを遺されています。全てのものをありのまま観て、日常を修行の場としたその教えは、多くの人の心に真の勇気と希望がわいてくることでしょう。
「泣きながら生まれてきた人間」が「笑いながら死んでいく」ことは、とても難しいことのように思われます。しかし、マイナス思考の極みから出発したお釈迦様は、病に伏した中でも微笑みながら御遷化されました。お釈迦様のクシナガラ(インド)での最後は、ご自身の上に影を落とす木々の姿を「世界はすばらしい」と讃えつつ教化の場を他界に遷されました。最大の否定から最高の肯定へ、マイナス思考のどん底からプラス思考の極地に達して世を去ったからこそ、2500年後のいまも、多くの人々はお釈迦様に熱い心をよせるのではないでしょうか。


写真:インド クシナガラ

釈尊荼毘所跡(後:釈尊のストゥーパ) 釈尊の涅槃像
お釈迦様入滅の地クシナガラの涅槃堂に横たわる6メートルを超える涅槃像。南伝大般涅槃経(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ)に、お釈迦様の葬送の様子が詳しく著されています。経典の通り、頭北面西で金色の布が掛けられ、輝いているように見えます。この像は5世紀の始め「ハリバラ」という信者が寄進したものと伝えられています。

クシナガラ
お釈迦様が入滅された地で四大仏跡の一つ。拘尸那掲羅と音写されます。入滅の地について異説がありましたが、「5世紀」の銘のある涅槃像、「大涅槃寺」の銘のある古泥印、及び涅槃塔から銅板が出土したことから、この地が涅槃の地であることが判りました。荼毘所跡とストゥーパの周囲には、後世の僧院遺構があります。 この地は、往時は沙羅の林でした。霊鷲山に居られたお釈迦様は、二・三ヶ月おきに高熱をだし床につくことが多くなり、ご自身の死期が近づいたことをさとります。そこで、阿難尊者を従えて、パトナやヴァイシャーリーなどを経由し、生まれ故郷を目指して最期の旅に出られます。しかし、お釈迦様もついにこの地で動けなくなり、娑羅双樹の下で頭を北に向け右脇を下につけ、紀元前383年80歳にて安らかに御遷化されました。
なお、涅槃会(ねはんえ)は、涅槃講や涅槃忌とも称し、陰暦2月15日お釈迦様入滅の日に、日本や中国で勤修(ごんじゅ)されている遺徳追慕と報恩のための法要です。お釈迦様の入滅の日は実は定かではありませんが、「ヴァイシャーカ月の満月の日」と伝えられています。ヴァイシャーカ月はインド暦で第二番目の月にあたることから中国陰暦で2月、さらに満月の日は概ね中国陰暦で15日となることから、中国で2月15日と定められました。

【インド暦については、「アジアの暦」(著者:岡田芳朗 あじあブックス)をご精読下さい。】

 
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