三蔵法師紀行
クシナガラ
クシナガラ(Kushinagar インド北東部、ネパールとの国境近くにある古代都市)はお釈迦さまが入滅された地です。『維摩経』の舞台となったヴァイシャリー(古代ワッジ国の首都 現ビハーラ州ヴァイシャリー)近くで雨季を過ごされたのち、お釈迦様は高熱にうなされることが頻繁になり体調をお崩しになりました。小康を得たお釈迦様は自らの死期が近いことを感じ、故郷のカピラ城(Kapilavastu /釈迦族の都城 釈迦の生地。現ネパールのタライ地方に位置する。) を目指し旅に出ます。この時お釈迦様は弟子のア-ナンダ(Ananda/阿難陀 釈迦十大弟子の一人。多聞第一と称せられた。)に「これが、ヴァイシャリーを見る最後になるだろう。」と語ったと仏典には記されています。それは、お釈迦様入滅の約3ヶ月前ことでした。そして、カピラ城までの行程はあと100kmとなるクシナガラにさしかかったとき、お釈迦様は力尽き、さらに容態は悪化してしまいます。
弟子のアーナンダに支えられて、身を横たえたお釈迦様の元に、一人の遍歴行者スバッダ(Subhadra/須跋陀羅)が訪れ説法を請います。アーナンダは断ろうとしますが、お釈迦様はスバッダに教えを説きました。そして、スバッダはお釈迦様の最後の弟子として出家したのでした。
現在のクシナガラは、観光地からかなり離れた場所にあり、閑静な佇まいを見せています。玄奘が訪れた時も城郭は崩落し、村里はさびれ、住民もわずかであったといいます。ただ、小さくはあっても僧院に、涅槃堂を守る僧達が住んでいたと伝えています。
お釈迦様はサーラ(沙羅 夏椿の別名)の双樹の下で身を横たえたといいます。このサーラは、玄奘が訪れたときもさらさらと鳴っており、「サーラは柏に類して皮は青白く、葉は甚だ光沢がある。」と玄奘は記しています。
お釈迦様は、「サーラの木をよく育てれば、美しい林になる。出家者達も、よく戒めを守ればよい結果を生むことになるだろう。」と仰っていたので、お好きなサーラの下で最期をお迎えになったのだろう、と玄奘は思ったのでした。
現在、この地は公園となっており、ミャンマー(ビルマ)の仏教徒により1876年に修復され、さらに1956年の仏滅(お釈迦様の没後)2500年祭に涅槃堂が改築され、その前庭にはサーラの木が植えられています。
なお、涅槃堂には8mに及ぶ涅槃像が安置されています。これは、1976年に瓦礫の中から発掘されたものです。
写真上:クシナガラ遺跡跡に建つ涅槃堂(右)と仏舎利塔(左)
写真下:涅槃堂に安置されている涅槃像(全長8m)

