筆録
 
2013年
 

観音像の源

古くから日本人の信仰を集めてきた観音様。現在インドに残る最も古い観音像は、ニューデリー国立博物館蔵のものです。釈尊初転法輪の地サールナート(鹿野苑)から出土した5世紀後半のグプタ王朝時代の高さ133センチの像です。髷を結い、中央に化仏を付け、左手には蓮華を持つこの観音像は非常に優美な印象を与えます。初期の仏教では、菩薩といえばお釈迦様の前身を指していたので、同時代のアジャンタ壁画に描かれた菩薩像はみな、伸びやかな鼻梁を持つ現実の貴人の面影を宿しています。人間の姿に極めて近いこうした観音像は後に聖観音と呼ばれることとなります。

そして時代が下ると、四本の手と十一の顔を持ついわゆる四臂十一面の観音像が作られるようになりました。7世紀のアウランガバードの石窟には、様々な災難に遭っている人々を救済しようと現れた観音菩薩の姿が、一景ずつ彫られています。この世の災難は数知れません。ですから、それをご覧になるお顔は一つでは足りないし、差し延べられる手も二本では足りないと考えられたのは無理もありません。また、ヒンズー教の十一面多臂の神々が仏教に取り入れられたこともあると思われます。

さらに仏像が最初に制作された地として名高いガンダーラ(現パキスタン)では、弥勒菩薩や観音菩薩が多く作られました。インド美術の、現実を越えた超越的な造形に対して、ギリシア文化とオリエント文化融合の地で花開いたガンダーラ美術は、人間の姿に近い造形がなされています。ガンダーラの観音像は頭にターバンを巻いているのが特徴です。これが確かに観音菩薩であるという証左はないのですが、中国に、同じタイプの北魏の時代の像があり、こちらは銘文に観音菩薩だと記しているので、カンダーラの像もそうであろうと推定されているのです。一方、菩薩像とは全く趣を異にしてはいるものの、手に蓮華を持つ西域の女神像も出土しています。

このように、日本に現存する観音像は、インドや周辺の国の様々な要素を取り入れて作られた像に、さらに中国、朝鮮の影響が加わったものといっていいでしょう。

 
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