
さて、馬頭観音(ばとうかんのん/ハヤグリーヴァ【hayagriva】)は、菩薩の一尊です。観音菩薩の変化身(へんげしん)の一つで、六観音の一尊にも数えられています。観音菩薩としては珍しい憤怒の姿をとっています。頭に馬をいただいており、馬頭観音は地蔵尊と同じように多くの路傍に祀られてきました。
馬頭観音の信仰が盛んになったのは武士が台頭した鎌倉時代で、これは馬が武士の乗り物としてなくてはならぬものだったからです。しかし、馬は武士にとって有用なだけではありませんでした。現在では馬から連想されるのは、乗馬や競馬などだと思いますが、第二次世界大戦前までは荷馬車を町でもよく見かけたものでした。「馬力」という言葉があるように、自動車など庶民の手に届かなかった時代は、馬は最大の労力を提供してくれる存在でもありました。馬頭観音は衆生の「無知」「煩悩」を排除し「諸悪」を毀壊(きかい)する菩薩ですが、我が国では労働力としての「馬を護る観音様」という性格を強く与えられました。

(ヴェーダ:BC1,000〜BC500にかけてインドで編纂された宗教文書の総称。ヴェーダとはもとは「知識」の意。)
あるとき、二人の悪魔が梵天からヴェーダを盗んで逃げてしまいました。梵天は困りはてヴィシュヌに助けを求めました。そこで、ヴィシュヌは馬に変化して取り戻したそうです。また、ヴィシュヌが最後に変化して、末法の世に現れたカルキ王が馬頭観音の原型であるともいわれています。カルキ王は世の悪を懲らしめ、正義を回復しようと、馬の頭をして憤怒の形相をしているともいわれています。
他の観音が穏やかな表情であらわされるのに対し、馬頭観音は憤怒の相をしていることから、「馬頭明王」とも称され菩薩部ではなく明王部に分類され八大明王の一尊としても名が挙げられています。これもカルキ王に馬頭観音の原型を求めるならば、その形相にも納得できます。
しかし、カルキ王即ち馬頭観音ということではなく、路傍に立つ「馬頭観音様」はとても柔らかい表情のものも多いことをお知りおき下さい。