筆録
 
2013年
 

観音様の住処

「華厳経」では、善財童子が53人の善知識を訪問する途中、第28番目に観音を尋ねて補陀洛迦山に登ったことが述べられます。「その場所は泉や湖や流水で美しく飾られ、青々としたみずみずしい渦を巻いた柔らかい草が繁茂した大きな森林の中の空き地」に観世音菩薩は結跏趺座して法を説いておられた、と記しています。玄奘も「大唐西域記」の中で、「険しい山道で谷は深く、山頂には鏡のように澄んだ池があって大河が流れ出しており、池の側には天宮があって、観自在菩薩が留まっている。」と記していますが、これはかの地での伝聞であるとの但し書きがあります。

補陀洛迦山は、中国においては、浙江省普陀県に属する舟山列島にある普陀山であるとされます。古くは道教の神仙境でしたが、インド僧の入来により仏教が盛んになった唐代に入ると、観音の住処である補陀洛迦と考えられるようになりました。ここには有名なエピソードがあります。日本の僧侶・慧萼は五台山で頂いた観音像を奉じて帰国途中、ここまで来たところ観音像が日本に行くのをためらったため、船が進まなくなりました。そこで慧萼はこの地に不肯去観音院を建てて観音像を祀ったといいます。不肯去とは、去っていく事を肯定しない、つまりは行きたくないという意味です。どうしてこの観音様は日本においでになるのがお嫌だったのでしょう。年3回の縁日には多くの参拝者が集い、観光客も訪れます。

中国で独自に造られた観音像は大変多く、主なものを挙げると、古来から仏画の画題として愛好されている楊柳観音があります。またの名を薬王観音と称し、病気を消除するとされます。右手に楊柳を持ったり、花瓶に挿した楊柳が水辺の岩の上に置かれているのがこの観音様です。また文人画にしばしば登場する滝見観音は、その名の通り岩の上に座して滝を見ています。このように中国で制作された観音像は、ほとんどが水辺にたたずんでいることが多いのです。それはなぜかといいますと、冒頭の「大唐西域記」の記述や、中国の普陀山の地理的位置を考えると説明がつきます。つまり池や海のある地が観音様の住処であると考えられてきたからです。

 
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