筆録
 
2007年
 
4月5日(木) 釈尊降誕会(4月8日)
今から、2500年ほどの昔、お釈迦さまは、母マーヤーがお産のための帰郷の途中、ヒマラヤ山脈の麓、現在のネパール王国の領土内に位置し、当時はカピラヴァストゥ国の庭園であった「ルンビニー園」で生まれました。父は釈迦族の国王「シュッドーダナ」、母は「マーヤー」であったと伝えられています。当時、『カピラ城』と呼ばれたお城は、ルンビニー園から西に16?ほど離れた場所にありました。
因みに「お釈迦さま」の呼び名は古代インドの釈迦族に属していた事より、親しみを込めて敬称されるようになり、さらには「釈迦牟尼」とも「釈尊」とも尊称されます。尚、釈迦牟尼は「釈迦族の聖者」、釈尊は「釈迦族の尊者」の意味で、その本名は「ガウタマ・シッダールタ」といいます。
お釈迦様ことガウタマ・シッダールタの母マーヤー夫人は、産後に体調を崩し、その7日後にお亡くなりになられました。代わって、お釈迦様の叔母にあたる、マーヤーの妹の「マハープラジャーパティー」が、お釈迦さまの養母となりました。
お釈迦さまの生・没年については諸説があり、200年ほどの開きがあります。仏教学者で著名な中村元(なかむら はじめ)先生は、諸説を窮理し考究した上で、お釈迦様のご生涯は、紀元前463年〜383年の80年と算定しておられます。生誕の日についても色々な伝承がありますが、日本では『太子瑞応本起経(たいしずいおうほんぎきょう)』や『仏所行讃(ぶっしょぎょうさん)』といった仏典の記述を典拠として4月8日に定めています。


左の写真はマーヤー夫人が出産前に沐浴jを行い、お釈迦様自身の出産後の沐浴にも使われた池です。右の写真は、赤い建物の中で発掘が行われています。その建物の手前に見える白い塔が「アショーカピラー」です。古代マガタ国のアショーカ王が「ここにお釈迦様はお生まれになった」と刻印させて立てさせたと伝えられています。アショーカ王は、戦争と暴力による支配を深く反省し、仏法による国民の繁栄を築いた最初の王として、多くの人々に尊敬されています。


2枚共に、赤い建物の内部で、発掘現場の写真です。


左の写真は建物内部に飾られていたお釈迦様誕生のレリーフです。イスラム教徒によって表面が削られてしまいました。右の写真は、お釈迦様がお生まれになった場所を示すもので、その「目印の石(Marker stone)」です。
 
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