筆録
 
2010年
 
… 弁才天 …

弁才天は仏神の一つで、人に弁才を授けて福智を与え延寿と財宝を得るように図り、なおかつ天変地異を除くとして崇められてきました。七福神の一人であることからも、あらゆる人々の幅広い信仰を集めてきたことが察せられます。弁才天は、池や小川などの水辺に祀られれていますが、これはその出身と深い関りがあります。

ヒンドゥー教のサラスヴァティーという女神は川や水の女神で蓮の花に腰掛けています。四本の手を持ち、前の両手でヴィーナという弦楽器を弾いています。後ろの右手には数珠、左手にはヴェーダを記した、バイタラという樹の葉を持っています。

バイタラとは和名をタラパヤンといい、紙の無かった時代はこの葉に書写しました。こうしたことに関連してサラスヴァティーは言語の女神であるヴァーチとも同一視されるようになり、仏教にとりいれられて弁才天となりました。室町時代以降は利殖の女神ともされ「弁財天」とも表記されるようになりました。

女性の仏像は限られていて、弁才天以外では吉祥天のみなのです。吉祥天は、もとはラクシュミーといい、悪魔に呪われて活力が失われた世界を蘇らせるために、神々が海をかき混ぜて霊薬を得たときに誕生した女神なのです。彼女はまたシェリーとも呼ばれますが、語義は「幸福・吉祥」なのです。この語義をそのままに「吉祥天」として仏教にとりいれられました。我が国では759年に吉祥悔過(きちじょうけか)が行われたという記録があります。

悔過(けか)とは特定の仏さまの前で、年間に犯した罪業を懺悔(さんげ)して除災招福を祈願し、さらに五穀豊穣を願うもので、薬師如来の前で行う「薬師悔過(やくしけか)」や阿弥陀如来の前で行う「阿弥陀悔過(あみだけか)」などが行われていました。なお、東大寺の「お水取り(お松明)」で親しまれている本行が「修二会(しゅにえ)」と呼ばれるようになったのは平安時代になってからで、奈良時代には「十一面悔過法(じゅういちめんけかほう)」と呼ばれ、これが今日でも正式名称となっています。十一面とは「十一面観世音菩薩」をさし、その前で行われる悔過(けか)なので「十一面悔過法(じゅういちめんけかほう)」と呼ばれました。

さて、悔過(けか)の中で最も盛んだったのが「吉祥悔過(きちじょうけか)でした。しかし中世以降、弁才天が台頭してくると、吉祥悔過(きちじょうけか)は下火となっていきました。室町時代から始まった七福神信仰において、吉祥天が入っていたこともありましたが、後に除かれてしまいました。
(右写真:東大寺二月堂 お松明)
 
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