筆録
 
2013年
 

観音様の浄土

清水寺三十三間堂は修学旅行のコースに入っていて、引率の先生が、「この中には必ず自分に似た顔の観音様がいらっしゃるので探してみましょう。」と言うと、それまで眠たそうだった生徒達は急に興味津々、そういえばあれは誰々さんに似ているなどとはしゃぎだすとか。いやはや先生のご苦労が偲ばれるというものです。後白河法皇の勅願により建立されましたが、建長1年、京都の大火で堂は焼失。その際運び出されたのは156体だけだったため、運慶の子・湛慶をはじめ、当時の著名な仏師が総力をあげ、なんと百年間かけて復元したのが、現在の千一体の千手観音です。
千手観音は十一面観音とならび多く制作され、敦煌など中央アジアの壁画にもかなり残っています。正式には十一面千手千眼観音といい、この名の通り十一面観音と同じく頭上に十一面を戴き、千本の手のひらに眼を持つ像が本来です。
千本の手は光背のように配置され、その他にブドウ、柳、骨などの持物(仏像が手に持つもの)を持つ手が四十二本あるので、全部で千四十二本の手を持っています。けれどもなんといっても千本もの手を造るのは大変なので省略したものの方が多く、ほとんどは42本で制作されました。けれども唐招提寺、大阪・葛井寺、京都田辺・壽寶寺の三寺は本当に千四十二本の手を持つ千手観音です。制作はさぞ大変だったろうと思われます。
観音様は、お住まいのポータラカ山・補陀洛山)が泉や湖が美しい所であると経典に述べられているため、山岳・海岸付近の寺院に祀られることが多いのが特徴です。
平安期以来の観音霊場である清水寺の本尊は十一面観音ですが、「清水の舞台から飛び下りるつもりで」の例えでもわかるように、東山の断崖に造られた寺です。
また西国三十三所巡礼の第一番札所・那智は、千手観音信仰で有名ですが、那智は山ではあるけれども海にも近い地形です。この那智と共通する地形を持つのが、インドの最南端にあるコモリン岬で、岬の近くにある山が観音様の浄土だと伝えられるため、人々はこの付近の海に入って祈りを捧げます。

 
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