【地球をどうしますか 環境2008】中国、豪雪の問いかけ(下) 産経新聞2008.4.7
■長江開発との関係は?
「緑の記者サロン」では、専門家を招いて活発な議論が交わされる(撮影・福島香織)
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「どうして今年の豪雪は長江流域に集中しているのか。長江の開発、三峡ダムと関係ないのか? 2006年夏の流域の大干魃(かんばつ)も、開発と関係があるのではないか」
質問をしたのは、汪永晨さん(54)。中央人民ラジオの記者で、環境NGO(非政府組織)の「緑の家ボランティア」の世話人でもある。この集まりは「緑の記者サロン」と呼ばれる。汪さんを中心に15都市の環境記者が毎月1回顔をそろえては、勉強会を開いているのだ。この日のテーマは「雪害と気候変動」。劉氏がゲストだ。
汪さんは続けた。「外国のある研究機関は、三峡ダムと気候の関係についてリポートを出しています。三峡ダムの水蒸気が大気の環流に影響していると」。劉氏の答えはこうだった。
「われわれ専門家チームが研究した結果、三峡ダムの貯水後、局地的な気候への影響はあるとしても大きな範囲ではない、といえる。ただ、三峡ダムが本当に気候に影響するかしないか、今の科学では十分に証明できるだけの根拠はない」
汪永晨さん |
三峡ダムの建設プロジェクトは、1992年の全国人民代表大会(全人代=国会に相当)で採択され、93年に着工された。実は、その当時から、水利学者の黄万里・清華大学教授ら研究者が「環境、生態、気候に深刻な破壊をもたらす」と訴えていた。しかし、全人代で決定され、巨大な利権を伴う国家プロジェクトを押しとどめる力が、研究者らにあろうはずもない。科学的論証も欠いていた。
世界最大級のダムは、中国の異常気象に何らかの影響を及ぼしているのか-。この議論が取りざたされるようになったのは、ダムの竣工(しゅんこう)を間近にした2005年ごろからだ。この年の4月中旬、三峡ダム地区は例年にない降雪が広範囲にあり、寒の戻りも3度を数えた。ダム所在地の湖北省宜昌市の降水量は、過去118年で最高を記録した。
ダムの堤防が完成したのは06年5月。この年の夏には、「100年に1度」といわれる「重慶大干魃」が発生し、議論はさらに白熱していく。その過程で「木桶(おけ)効果」論なるものも登場した。
《四川盆地は木の桶に例えられる。その底には、大量の水蒸気を発生させる長江が流れているのだが、巨大な三峡ダムができたことで、桶の底の水蒸気の流れが変わり、気温に影響を与える。夏は干魃が発生しやすくなり、冬は豪雪を引き起こす》
汪さんは「中国の気候は長江の流れによってつくられてきた。河川と気候には密接な関係がある。ダムの建設が始まって以降、長江には次々と異変がみられる。本当に因果関係がないか調査すべきだ」と話す。
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2006年・5月、堤防の完成を目前にした三峡ダム(ロイター) |
最近の最大の成果は、雲南省を流れる怒江に13基のカスケード・ダムを建設する計画を、市民運動によって一時、中断に追い込んだことだ。この計画は、2003年に国家発展改革委員会で可決されたものだが、「処女河川(ダムがひとつもない河川)を子孫に残そう」というキャンペーンはインターネットにのって勢いを増した。今年に入り、ダムの建設現場では一部工事がひそかに進められていることが明らかになったものの、一時的ではあっても、市民運動が国家プロジェクトに「待った」をかけた初めての例となった。
環境問題で中国に対する国際社会の圧力は高まり、中国政府は北京五輪のスローガンのひとつに「緑色(エコ)五輪」を掲げてもいる。それだけ政治的に環境問題には敏感なわけだ。そのことがひとつには、“騒ぎ”の拡大を回避する方途として、汪さんらの運動に“穏便”に対処した要因だとみられる。
黄河文明にはじまる中国は、歴史的に「水を治めるものが国を治める」といわれ、大規模な水利工事がしばしば権力の“象徴”となってきた。それは新中国建国後も三峡ダムや、長江の水を北部へ運ぶ運河の「南水北調」の建設などの形で受け継がれてきた。
「私たちが直面している最も重要な問題は、自然とどうやってうまくつきあっていくか、ということ。もっと身近に環境や気候の問題を感じ取らなければならない。水利工事などの公共事業も国家主導ではなく、NGOによる環境アセスメントを参考にするなど、市民参加型でいくべきだ」
中国では、汪さんらのような環境記者、活動家はまだ登場したばかりだ。それだけ国家も国民も、環境対策に無関心できた。
【用語解説】三峡ダム
湖北省宜昌市に建設された洪水抑制、電力供給、水運改善を目的とした世界最大級のダム。1993年に着工、2006年にダム本体が完成し、周辺設備工事を含むプロジェクトの完成は09年の予定。ダム本体は高さ185メートル、長さ2・3キロ。ダム湖の長さは570キロで、その西端は重慶市にまでおよぶ。多くの名所旧跡が水没し、住民140万人以上が強制移住させられ社会問題となった。総工費は約1800億元(約2兆7000億円)とみられている。
