6.1(日)
三蔵法師紀行
三蔵法師紀行
クチャ国
現在の新疆ウィグル自治区【しんきょうウイグル‐じちく。中国北西部の自治区。】にあったこの国は、クマーラ・ジーヴァ【鳩摩羅什(くもらじゅう)344〜413。中国六朝時代の仏典の翻訳家。クチャ国高僧。長安に迎えられ、訳経従事。法華経・阿弥陀経など35部300巻に及ぶ訳経は、旧訳(くやく)において最も重要な地位を占める。三論宗の祖師ともされる。】の出身地です。彼はサンスクリット語経典をクチャ語に直し、さらに漢訳した人で、玄奘の生まれる二百年前に長安に迎えられました。
ギジル千仏洞 西側の谷
玄奘が訪れた当時のクチャ国は、たいへん豊かでした。農作物はよく実り、石炭がとれ、なおかつシルクロード中間交易要所として税が入り、オアシス都市国家として栄えました。生活のゆとりは芸術を発達させます。特に管弦楽は名高く、中国にも伝わりました。そして、仏教史上にとってもここクチャは、「千仏洞」に見られる芸術によっても重要な場所です。
「千仏洞」とはムザルト川に沿った断崖に横穴をあけて、修行の場としていたもので、その最大のものがギジル千仏洞といわれるものです。4〜5世紀にかけての造営と考えられ、壁画で有名です。236の洞窟それぞれ内陣側壁に、本生図・因縁説話図・仏伝図の三種類のエピソードが描かれています。それらは、かつてはたいそう美しかったであろうと思われ、太い線で大胆かつ流麗に描かれ、さらにヘレニズム要素を多く認めることができます。
本生図はお釈迦様の前世物語、因縁説話図はお釈迦様の説法物語、仏伝図はお釈迦様のご生涯の物語です。しかし、壁画は残っていますが納められていたはずの仏像は失われてしまい、壁画も所々はぎ取られています。これは、19〜20世紀初にかけて、アジア内陸部の探検が盛んに行われ、シルクロードの価値が知れ渡った結果、西欧の学者や探検家が、遺跡から貴重な価値のあるものを海外に持ち出したことによるものです。
自然のまま放置しておくと天災や人災で失われてしまったかも知れないのだから、持ち出して保存するのも一つの方法だという考えもあります。皮肉なことに、クチャの壁画は、ベルリン民族博物館に収蔵されましたが、第二次世界大戦下空襲を受け、そのあらかたが失われてしまいました。