筆録
 
2007年
 
7月31日
いま、カッパが注目されています。
その理由について、朝日新聞の記事をここに掲載します。(住職)


「今、なぜ、カッパ? アニメ・小説・自然教育に登場」 朝日新聞 07/31
アニメに小説に自然教育に、カッパが脚光を浴びている。頭に皿をのせた姿や、ちょっと間抜けな人間くささは変わらないが、21世紀のカッパブームでは、カッパという存在そのものが、環境問題や低成長時代の生き方について問いかける。24日は芥川龍之介の命日である河童(かっぱ)忌。カッパの声に耳をすませば……。
「河童のクゥと夏休み」から 東京タワーを背景にしたカッパ=『カッパでもどうにかやっている』から
28日公開のアニメ映画「河童のクゥと夏休み」(木暮正夫原作)は「クレヨンしんちゃん」シリーズの原恵一監督。石の中に数百年閉じこめられていたカッパの子どもが、拾われた現代の家庭でよみがえり、変わってしまった村の姿に驚くところから始まる。
原監督は「カッパがビルの立ち並ぶ町に現れて感じる違和感は、カッパが暮らせない環境とは、どんなものかと考えさせる。エコロジーを正面から唱えなくても、感じとってもらえるのでは」と期待する。
映画はまた、緑豊かであまり経済発展していない南の島を、カッパの永住地として描く。「僕は特定の宗教を持っていませんが、神がそばにいるかのように、欲望を自制する心を持って生きることは大切。日本人はカッパに託して柔らかな知恵を伝えてきたのでは」
こうした「カッパ観」の深まりとともに、カッパは観光目的の町おこしに使われるだけでなく、川と人間の共生のシンボルとして扱われることが増え、環境教育にも登場している。
カッパが登場する作品は、芥川の晩年の代表作『河童』や水木しげるさんの『河童の三平』などが有名だが、最近では高田崇史さんのミステリー『QED河童伝説』や東京スカパラダイスオーケストラの谷中敦さん主演の映画「河童」(8月にDVD発売)などが深く掘り下げている。
愛知万博のマスコットだった「モリゾー」「キッコロ」などをデザインした「アランジアロンゾ」(斎藤絹代さん・よむらようこさんの制作ユニット)も、カッパが主人公の物語『カッパでもどうにかやっている』(角川書店)を出した。カッパが東京に出てきて独り暮らしを始める様子を写真やイラストとともに描き出す。カッパは妖怪というより、情けない男の子のような雰囲気だ。
アランジアロンゾによれば、カッパは人間と同じように困ったり、都会になじめなかったりするのに、格好つけようとしているところに味があるという。そんなキャラクター作りは、資料などにあたらず、カッパに関するおぼろげな「記憶」のなかから抽出した。

◆熊本に資料数千点、進む実証研究
日本人の多くが共有する、こうしたカッパ像。その原型をさぐる研究も、画期的に進んでいる。
柳田国男も指摘するように、19世紀以降(江戸後期)にカッパは流行神となる。1818(文政元)年に九州・久留米から江戸に水天宮が分祀(ぶんし)されたことも一因だった。
神奈川大の小馬徹教授(文化人類学)は、その水天宮信仰の形成にも影響を与えた、熊本の渋江家の数千点の史料の目録刊行を重ね、カッパ(水神)信仰の歴史的な過程を解き明かそうとしている。
小馬教授は「(渋江家史料は)民俗学だけではなく歴史学的にカッパ研究ができるだけの質と量を持つ史料群。各地の古くからの水の神がカッパという形になっていく様子を検証する基礎資料になる」と話す。
例えば水難よけとして全国的に広まった歌の「ヒョウスベ(兵主部)に 約束せしを忘るなよ 川立ち男 氏は菅原」に出てくるヒョウスベ。柳田国男は、このヒョウスベがカッパをつかさどる神だと推論し、多くの研究者もそれを支持したが、渋江家文書をたどると、ヒョウスベそのものがカッパと考えられるのだ。
「カッパのイメージのうち『人間臭さ』や『間抜けさ』は、カッパがもともと神社造営のために作られ、川に捨てられた人形であったという渋江家などに伝えられている起源に合致する」(小馬教授)
6月には東京で、20回目になる「河童サミット」が開かれ、例年の倍近い220人が参加した。今も輝きを失わないカッパは、民衆が伝えてきた、柔らかな知恵を包み持っている。
 
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