7.28(月)
三蔵法師紀行
「バーミヤン国」
唐の仏僧玄奘は、ヒンドゥクシュ(主にアフガニスタン国内を北東から南西に1200kmにわたって延びる山脈。一部はパキスタン西部にも広がる。)を超えて、現在のアフガニスタンにあたるバーミヤーン国に入りますが、この山越えは大変厳しいものでした。岩山の絶壁をつたい、降りしきる雪に足をすくませながら進みます。高地のため酸素が薄く意識が遠のきます。こうした苦難の末、西暦六三〇年、やっとのことでバーミヤーンについたのでした。
バーミヤーンは、狭い盆地で、人々は牧畜を行っていました。自然条件の厳しい地ですが、インドと中央・西アジアとの
十字路にあたり、また信仰の厚い土地柄でした。玄奘が訪れたとき、伽藍(寺院の建物)が数十箇所あり、数千人の僧が学んでいたということです。
二人の高僧に案内を受けた玄奘の目を引いたのは、岩山に彫られた大仏でした。大仏は二体で、東大仏といわれる方は全長35m、西大仏といわれる方は全長57mのお釈迦様の立像でした。奈良東大寺の大仏は、約15mですから、その大きさが想像できると思います。バーミヤーンの仏教文化は繁栄をきわめ、玄奘がこの地を訪れたときにも依然として大仏は美しく装飾され金色に輝いました。その前で、玄奘は思わず跪き涙を流しながら手を合わせたと記されています。西大仏は石でできており、東大仏は銅でつくられていました。
不幸にも、現在はその二体の大仏の姿はありません。2001年3月偶像否定を強調し、イスラムの名のもとに、バーミヤーン渓谷の二体の大仏は破壊されてしまいました。この地には、そのほかにも多くの巨大な仏像が彫られ、石窟内にはグプタ朝のインド美術や、サーサーン朝のペルシア美術の影響を受けた壁画が描かれています。二体の大仏は破壊され大きな被害を受けましたが、偶像崇拝を否定するイスラムの時代を通じ現在に至っても依然として多くの壁画が残されています。
尚、玄奘はこの国に15日間程滞在し、近づいてきたインドを目指して、再び困難なシバル峠を越えるべく歩を進めたのでした。(写真は破壊前の大仏)
