筆録
 
2010年
 
… 大黒天 …

大黒天といえば頭巾をかぶり、右手に小槌、左手に背負った袋の口を握り、米俵に乗った姿を思い浮かべることができると思いますが、これは我が国独自の造型です。中国においても、日本のような大黒天像はみることはできません。ヒンズー教の神で多くの信仰を集めているのはシヴァですが、シヴァ(Siva)はインドのたくさんの土俗神を吸収して成り立った神です。従って、様々な性格を併せ持っており、それぞれが仏教に取り入れられたその一つが大黒天です。

シヴァは創造を司ると同時に破壊の神でもあります。シヴァが世界を破壊しようと身を変えると、マハーカ-ラ(Mahaa-kaala)という名になってその形相はとても恐ろしいものとなります。カーラというのは黒という意味で暗闇のもつ不気味さと恐ろしさを神格化存在です。それが仏教に取り入れられると、仏の敵を撃退する三面六臂の憤怒形相の神となりました。

さて、日本神話の大国主命(おおくにぬのみこと)の大国を音読すると「ダイコク」と読むことができます。ここから大黒天と大国主命が結びついて、日本における大黒天は袋を背負うようになりました。しかし、我々が思い浮かべる短躯で微笑んでいる姿になるのは室町時代以降であり、それまでは袋を背中に背負ってはいるものの、痩身で顔も厳めしいものでした。短躯になったのは、背負う袋が大きくなったのと、その福々(ふくぶく)しい笑顔を強調しようと顔を大きくしたために、バランス上そうなったと言われています。

この笑顔については、室町中期の頃から、大黒天は恵比寿と並んで祀られることが多くなり、恵比寿に引っ張られる形で、「福の神」としての強調がなされたためと説明されています。また、米俵に乗るのも時代がさっがってのことで、それまでは蓮の葉に乗っていました。インドにおいて、西暦600年頃から、詳しい経緯は定かではありませんが、大黒天は食を司る神として性格を与えられるようになり、食堂などに祀られるようになりました。日本の各地域でも、田畑の神として、大黒舞・大黒正月・大黒上げといった大黒天を祀る行事をみることができます。日本人にとって、「五穀豊穣」は極めて大切な生活基盤でしたので、大黒天が俵の上に乗るという発想はこの辺りから出たと想像することができます。
(写真:土蔵入口に描かれた「大黒天」)
 
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