十一面観世音菩薩
「観音経」とは「法華経・普門品」のことですが、もともと独立した経典だった「観音経」が「法華経」に取り込まれたとする説もあります。ともあれこの「観音経」によって、観音様の慈悲は広く知れわたることとなり、実にさまざまな観音像が作られるようになりました。こうした観音は、聖観音に対して変化観音(へんげかんのん)と呼ばれますが、なかでも十一面観音は最も古い変化観音です。優しいお顔、怒りのお顔、牙をむいたお顔、大笑いしたお顔が頭上に宝冠のように載っています。蓮華と念珠を持つ二臂が一般的ですが、四臂の像もあります。
有名なのは奈良法華寺の十一面観音菩薩立像です。法華寺は745年、聖武天皇の妃・光明皇后が父の旧宅を改装し、総国分尼寺として創立した寺で、全国の国分尼寺を統括しました。このため、本尊の十一面観音は光明皇后の姿を写したものと伝えられています。この木彫りの像の特徴は手が非常に長いことです。慈悲をあまねく差しのべるために伸びたといいます。もう一つの特徴はその躍動感です。風を受けたように髪は翻り、左足を踏み出した活き活きとした様子は、病人の身体を洗われたという皇后を偲ばせるに充分です。秘仏で、3月20日から4月7日、6月5日から6月8日、10月25日から11月11日に開扉されます(変更の場合あり)。
さて「十一面観自在菩薩心密言念誦儀軌」というお経があります。そこには十一面観音の功徳の中でも滅罪ということが強く説かれています。懺悔することを悔過といいますが、十一面観音の前で懺悔する事を十一面悔過といいます。あまり耳慣れない言葉ですが、奈良東大寺の「お水取り」は風物詩として毎年ニュースでも取り上げられるのでご存じでしょう。「お水取り」とは修二月会のことで、東大寺の開基良弁の弟子実忠が、難波津で閼伽桶に乗った十一面観音を得たので二月堂を開いて安置し、十一面悔過を修したのが始まりといいます。人間が日々作る罪を懺悔するこの行事は、第二次世界大戦中も中止されることなく行われました。十一面悔過は東大寺だけでなく、かつては日本各地の寺で国家の命により行われ、国の安泰と豊作を願いました。