筆録
 
2010年
 
… 地蔵菩薩 …

「♪♪ 村のはずれのお地蔵さんは…」
童謡にも歌われる地蔵菩薩は、その柔和なお顔もあって、最も身近な仏さまとして多くの人に親しみを込めて信仰されています。地蔵菩薩は釈尊入滅後、弥勒仏が56億7千万年後に出世するまでの中間期間、つまり無仏の時にあってこの世に現れ、衆生を救う菩薩であるといわれています。我が国の地蔵信仰の始まりは奈良時代からとみられるが、平安時代後期になると四条河原で地蔵の縁日が行われ、賽の河原の救護者、とりわけ子どもの守護者として信仰を集めました。これは貴族だけではなく、庶民にも地蔵信仰が広まったことを示すものです。平安末期は相次ぐ戦乱に飢餓や地震といった天災が続き、末法思想が急速に広まりました。末法思想と地蔵信仰は切り離せないものがあったといえます。

芥川龍之介の「羅生門」に描かれているように都まで荒廃が広まって、仏の慈悲にすがる気持ちは一層強まりました。近世になると地蔵講や地蔵盆のように年中行事となっていきました。さらに地蔵信仰は道祖神信仰と結びついて、峠や町村の境に祀られるようになりました。道祖神は縁結びや子どもの運を司るとされ、この事から、子どもを守る子安地蔵や子育て地蔵のように、子どもの守護神とする信仰が広まりました。昔は、乳幼児の死亡率が今と比べものにならないぐらい高く、子が無事に育って欲しいという切なる想いがあってこそのことであることはすぐお分かり頂けるでしょう。

一方、六地蔵からもわかるように、六道(りくどう/6種類の迷いの世界)
の何れに赴いたとしても、お地蔵様が救ってくれるという信仰があり、その対象は子どもだけではありません。地蔵の地は大地の地であり、日蔵・月蔵・天蔵と共に星宿の仏神として古く、古代インドバラモン時代から崇められていました。けれども、バラモン教からヒンズー教へと発展し仏教が興っても、インドでは地蔵信仰の広がりをみることはありませんでした。むしろ、中国唐代に、とても盛んになりました。この事からも地蔵信仰の広がりは、末法思想の広がりと関連していると考えることができます。
 
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