筆録
 
2011年
 

8.「 蛍 」

教科書には必ず載っている『枕草子』ですが、そのなかで蛍は夏の風物詩の代表として取り上げられています。『源氏物語』『「伊勢物語』といった王朝の物語文学作品でも、風流な虫としてもてはやしています。また江戸時代の絵図入り百科事典・『和漢三才図会』では、蛍の名所として石山寺と宇治川をあげていますが、こうした名所には多くの人が蛍見物に訪れました。水戸黄門として有名な徳川光圀は、宇治川の蛍を江戸の後楽園に放したと伝えられています。このようにかそけき光を愛する日本に対して、インドはどうもそうではないようです。

日本人でも『方丈記』の作者・鴨長明は蛍はぱっとしない虫で、しかも手を触れると悪臭が移ると敬遠していますが、インドにおいて、蛍はほまれ高い昆虫とはとてもいえぬ存在となっています。「月とすっぽん」とは、ふたつのものがまともに比較できないほどかけ離れているときに使われる喩えですが、仏典では「太陽と蛍」とされます。この喩えから察せられるように、蛍は取るに足らないものという位置を占めているのです。

2世紀に活躍しお釈迦さまを讃歎する多くの作品を残した詩人マートリチェタの詩には、「無智の時間を破る仏陀の智慧の光の前には、太陽の輝きすらも薄暗い蛍火に等しい」という一節があり、『大智度論』には「仏陀の出現前にはもろもろの外道が評判を博していたが、それは太陽の出る前の蛍のようなものにすぎず、太陽のごとき仏陀が出ると消えてしまう」というように、ひんぱんに記されます。そのほかにも、「法をそこなっている修行者など、蛍が須弥山を背負って飛んでいるのと同じくらい荒唐無稽だ」などと、蛍が聞いたらがっかりしてしまうような比喩がならんでいます。

 
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