筆録
 
2008年
 

9月4日(木)

三蔵法師紀行
ガンダーラ国
ガンダーラ(Gandhara/古代インド北西部の地名。現在のパキスタンのペシャワール周辺。)は、紀元前4世紀、アレクサンダー大王が西インドに侵入したことで、インドとギリシャ文化との融合によって生まれたガンダーラ美術で有名です。
玄奘が超えてきたカイバー峠の灰色の岩山とは対照的に緑が豊かで、麦やマンゴー、サトウキビが実り、カニシカ王の元にいた人質が春と秋を過ごした豊饒な地です。
玄奘はここで、カニシカ仏塔を見ることができました。中国で、「雀離浮図(じゃくりふと)」として知られた巨大な仏塔です。
仏塔は地域によって様々な形に作られ、中国では五重の塔の形をとりました。それが日本に伝わって、今日我々も目にする各地の「五重の塔」になったわけです。インドで最初つくられたものは、丸みを帯びた素朴な形のものでしたが、ガンダーラに至ると、細長く高くそびえ立つ形となり、飾りも凝ったものとなっていきました。
玄奘は、中国で修行していたときから、このガンダーラの有名な仏塔のことを知っていました。しかし、今日に至り、玄奘が見た巨大な仏塔がどのような塔であったかということは、全くわからないのです。何故ならば、この地域からの出土品にこの塔に関するものが全く見当たらないだけでなく、玄奘がこの地を去ったあとも何人かの中国の学僧が訪れたにもかかわらず記述がなく、さらにインドに於いてもこの塔について何も伝わっていないなど、手がかりがないからです。しかし、玄奘以前にこの地に訪れた、「法顕(ほうけん)」や「宗雲(そううん)」といった中国の学僧や役人はこの塔についての記録を残しています。現存しないということは、自然に壊れたか破壊されたかですが、これに関する記録さえ残っていないのはとても不思議なことです。
1909年、イギリスの考古学者が、玄奘が塔について記録したペシャワール市(Peshawar/パキスタン北西部、カイバー峠の東方にある都市。中央アジアやインドを結ぶ交通の要地。古代ガンダーラ王国の首都。)の南で舎利器(お釈迦様のお骨を納めるための器)を発掘し、それにはカニシカ王の寺院に寄進したという旨の文字が記されていました。これにより、舎利器を安置するための仏塔が確かに存在していたことが裏付けられたのでした。 


カイバー峠

アフガニスタンとパキスタンの国境にある峠。標高1030メートル。古くからの交通の要地、アレクサンダー大王の侵入路や仏教北伝の経路になった。 

              

(Khybar/カイバル峠。ハイバル峠。)
 
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