筆録
 
2008年
 

10月4日(土)

三蔵法師紀行
善目王(ぜんもくおう)と鬼子母神(きしぼじん)
ガンダーラには、『ジャータカ』にまつわる聖地がありました。『ジャータカ(本生経/ほんしょうきょう)はお釈迦様の前世物語です。お釈迦様が仏果という果報を受けたのは、過去における菩薩としての善行があったからだと説いたものです。『今昔物語』や『宇治拾遺物語』にもその影響が見られます。
この物語の中の、善目王の聖地とされる場所には仏塔が建っていました。善目王の物語とは、お釈迦様の前世は善目王といい、その名の通り澄んだまなざしでよく人の心をとらえ、慈悲深い心で国を治めていました。ある時、隣国の王が目の不自由な僧を善目王の元に訪ねさせました。その僧は「あなたが慈悲深い王であるならば、目の不自由な私のために何をして頂けるでしょうか?」と尋ねたのです。すると、善目王はためらうことなく自らの両目を僧に与えたのでした。
玄奘はこの物語から、お釈迦様の徹底した献身の精神に衝撃を受けながら歩をさらに進めると、この付近は中国でも名を馳せた「無著(むじゃく/310〜390頃)」や「世親(せしん/4〜5世紀頃)」の出身地だと聞き、さらに感慨を深くしたのでした。辺りを見回すと所々に大きな赤い実がなっています。それはザクロでした。鬼子母神の話もこの辺りが舞台となっています。ガンダーラは豊饒な地でザクロも大きいよい実をつけます。鬼子母神の話は日本でもよく知られています。
玄奘はさらに北に向かい、インダス川を渡りました。ここは摩訶薩王子(まかさつおうじ)の伝説の地でした。子どもの虎を食べようとしていた親虎のために、竹で体を突きその血を飲ませたところ、その血を飲んで力を得た虎は王子を食べてしまったという話です。
この話は様々な仏典に登場しますが、ここの地面は赤く、伝説とはいえその「捨身の行」のすさまじさが玄奘に迫ってきました。法隆寺にある玉虫厨子の台座の側面にこの物語が描かれています。我が国でも菩薩の理想の行為として人々の心を捉えたことが分かります。


ジャータカ(本生経/ほんしょうきょう)
本生譚(ほんしょうたん)ともいう。十二部経の1つ。釈迦(しゃか)が前世で修めた菩薩行を集めた説話。仏教がインドから各地へ伝播されると、世界各地の文学に影響を与え、『イソップ物語』や『アラビアンナイト』にも、この形式が取り入れられたといわれる。また『今昔物語集』の「月の兎」なども、このジャータカを基本としている。

無著(むじゃく)
310〜390年頃。インドの大乗仏教の論師。世親の兄。ガンダーラの人。初め小乗の僧であったが、弥勒(みろく)から空観(くうがん)を学んで大乗に転じ、瑜伽(ゆが)行・唯識説を大成した。著「摂大乗論」「金剛般若論」「順中論」など。 


世親(せしん)

4〜5世紀頃の北インドの僧。小乗を修め「倶舎論」を著したが、兄の無著(むじゃく)に従って大乗に転じた。瑜伽唯識(ゆがゆいしき)思想を主張し、「唯識二十論」「唯識三十頌」を著す。著作が多く、千部の論主(ろんじゅ)といわれた。天親(てんじん)。バスバンドゥ。 

 
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