筆録
 
2011年
 
11.「 犬 」

徳川綱吉の「生類憐みの令」ではさまざまな細かい法令が発布されましたが、中でも有名なのは中野の犬小屋です。これは本格的な犬の収容施設で、『徳川実紀』11月13日の項で、中野の犬小屋は16万坪に及ぶと記されていて、10万頭の犬を即時収容したとあります。生類憐みの令が出されていた間は、幕府お抱えの犬医者がいて、死にそうな犬でも、少しでも息があれば速やかに医者を呼べと定められていました。
犬は最も古くから家畜化された哺乳類で、二百以上の種類があり、世界中で飼われています。狩猟をしていた縄文人の間では、犬は極めて大切に取り扱われていて、遺跡からは丁重に埋葬された犬の遺骨が出土しています。また犬は飼い主に忠実なので、日本各地に主人を助けた忠犬の話があり、犬塚が建てられています。

犬が正義をおこなうイメージはお釈迦様の前生物語『ジャータカ』にも登場します。かつてお釈迦さまは何百頭かの犬を従えて墓地に住んでいました。ある日、王様が馬車に乗って出かけ、帰って庭に馬車を放置しておいたところ、王の飼い犬が馬具の革紐を食べてしまいました。臣下が、墓地に住む野良犬どもが食べたと王に報告したので、王は野良犬狩りを命じました。そこで犬の頭領・お釈迦さまは王宮に出向きます。そして、まずすべきことはどこの犬が食べたか、真相を明らかにすることだと述べて、草とバターを混ぜたものを王様の飼い犬に飲ませました。すると犬は馬車の革を吐き出したので、頭領は、正義をおこなう詩を読み上げ、王様に説法しました。以後、王様は善行を施し続けたということです。



なお、写真は尾道観光ガイド犬「ドビン」です。2010年7月3日に逝きました。18歳だったそうです。2009年に土堂小と長江小の児童によって制作されたドビン像には花が供えられ、、「観光犬で親しまれたドビンが今朝天国へ旅立ちました。長い間観光客の皆さんにかわいがられた一生でした。私たちもドビンからいっぱいの”いやし”をもらいました。」とメッセージが記されていました。飼い主の引っ越しにより一時は孤独だったドビンが少しずつ市民にとけ込み、その最期を多くの市民や全国のファンが悼みました。

 
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