12月1日(木)
いわゆる坐禅は習禅(しゅうぜん)にあらず
ただこれ安楽(あんらく)の法門(ほうもん)なり
『普勧坐禅儀』
道元禅師(どうげんぜんじ)さまは、四年間の中国・宋での参学を終え日本に帰られ、直ちに『普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)』を著されました。仏道の根本義は、お釈迦(しゃか)さま以来、達磨大師さまを経て正しく伝えられてきた坐禅にきわまるとお説きになられ、一人でも多くの人々にこれを勧めようとのはからいからでした。
ここで道元禅師(どうげんぜんじ)さまが説かれていた禅定(心を統一して瞑想し、真理を観察すること)にたっすることに習熟し、上手になるための手段方法としての坐禅ではありません。坐禅をすることそれ自体が自我を滅却して「仏祖の生命を生きる」こととなる、そういう坐禅だったのです。ここでいう、「仏祖の生命を生きる」とは「大自然の生命本来の在り方へ帰る仏行」をさし、その仏行が坐禅なのです。
何ものもおかすことのできない安心立命(あんじんりつみょう)の境地そのものの現前、それを道元禅師さまは「不染那の修証(ふぜんなのしゅしょう)」と仰いました。これこそが、仏道への入り口なのです。