筆録
 
2008年
 

12月31日(水)

三蔵法師紀行
  マ ッ ラ ー 国   

玄奘はタール砂漠を、生まれて初めてラクダに乗って超えました。石ころだらけの砂漠地帯を抜けると、目的地であるマッラー国に到着しました。1月・5月・9月に、国王をはじめとする人々がそれぞれ学んでいる分野に応じて、そのゆかりのお釈迦様のお弟子を祀った塔を供養するならわしがありました。
玄奘もそれらの塔にお参りがしたかったのです。マッラーは仏教だけでなく、ジャイナ教のお寺もあり、またヒンドゥー教のお寺もあるという具合で、多くの参詣者と、それを相手にする商人たちで賑わっている、今まで訪ねたところとは趣の違う都でした。それは、地理的環境がインド西寄りに位置することから、西方からの侵入者に支配された歴史があることによるものです。
また、マッラーはガンダーラとともに、仏像の製作で他に知られたところです。当初、仏像をつくることは、お釈迦様のお姿を形として表すことは、大変おこがましくもったいないことであるという理由からなされませんでした。しかし、時がたつにつれて、お参りする対象がほしくなり、西暦1・2世紀にかけてマッラーとガンダーラで仏像が制作されたのです。
両国の仏像には違いが見られます。ガンダーラは、ギリシア文化との融合が著しかったため、彫りが深く鼻筋の通った西欧風の顔だちの仏像がつくられましたが、マッラーの仏像は、優美でしかも威厳のある顔立ちと細やかによせられた衣類のひだに特徴があります。

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玄奘はヒンドゥー教のお祭りでにぎわうマッラーを歩きながら、人々が愛の神・クリシュナ神を人間の理想として理想として讃えていることを、素直に見て取っています。
着かざった若い女性たちが花をまきながら歌い踊る姿をみて、クリシュナ神はこうした生き生きとした群衆の中からうまれてきたのではないかという感想をもったのでした。
左の写真は「タール砂漠(大インド砂漠)
 

 
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