12.「 亀 」
元禄13年12月に、黄門さまとして有名な水戸光圀が没しています。光圀は多くの動植物を飼育栽培し、それらを繁殖して水戸藩に新しい産業を興すことに成功しました。没後に編纂された書物には、もともと領内に牧場はなかつたが、藩内のある広野をご覧になったとき、そこに馬を放つことを提案されて、以降馬を産することができるようになった、と記されています。こうした殖産とは別に、水戸藩の江戸屋敷の庭園である後楽園に、光圀は神田上水を導入し、中国の山水風物を模した滝や渓流を造り上げ、池に亀を放ちました。
亀は仏教にゆかりの深い動物です。人身を受けることがいかに難しいかを喩えた言葉に「盲亀浮木」というのがありまます。東の海に浮かぶ盲亀が、西から流れてくるクビキの穴に首を入れるということを思い浮かべて下さい。これは、人身は受けがたいということの喩えなのです。これは原始経典『テーリーガーター』の一節ですが、このほか多くの初期経典、そして『法華経』『摩訶止観』などにも説かれています。
また、外部からの刺激に対して、亀が甲羅に頭や手足を引っ込める動作を修行者の心得とするのは、経典のみならずインドの古代詩にもみられます。
「亀が諸々の肢体を自分の甲羅に引っ込めるように、修行僧は、自分の粗雑な思考を収めとり、何ものにも依存することなく、他人を悩ますことなく…」
とありますが、これが漢訳されると、「自ら六根を蔵すれば、魔、便するを得ず。」となります。
『雑阿含経』の一節で、六根とは眼・耳・鼻・舌・身・意のことです。