筆録
 
2013年
 

霊験を求めて

観音霊場詣は、「源氏物語」や「かげろう日記」など平安期の物語にしばしば登場します。なかでも長谷寺詣は貴族の間で大変流行しました。勅撰の歴史書である「三代実録」には「大和国長谷山寺は、霊像ことに験あり、遠近の人々が仰ぎ慕う」とあります。しかし、万葉の昔から〃隠国の泊瀬(こもりくのはせ)〃と歌われた山深い地にある長谷寺までは、男の足でも往復5日を費やしました。ですから「源氏物語」で、長谷寺に向かった玉鬘がやっと到着したはよいが、あまりの疲れに手足が動かず、生きた心地がしなかったというのも無理はありません。た。清水寺の開創は奈良時代の末期、坂上田村麻呂が鹿狩に来たところ、僧は殺生を諌めると共に観音の教えを説きました。田村麻呂は以来観音に帰依し、仏殿を建立したと伝えられます。また石山寺は、東大寺の開基・良弁が開いた寺で、紫式部がここに籠もって「源氏物語」須磨・明石の巻を執筆したことで有名です。秘仏である如意輪観音(写真)は、歴代天皇の即位の年に開扉されていましたが、今では33年に一度となっています。

このようにひとえに信仰を集めた長谷寺や石山寺の創建は奈良時代なのですが、当時は国分寺が力を持っていたので注目を浴びませんでした。しかし平安期になると国分寺が衰退したため、長谷寺など特定寺院の本尊に霊験があると考えられるようになったのです。それまでは仏の加護を願うのに、仏像を造ったり写経や読経を行うのが一般的で、特定の寺院に参詣するということはしませんでした。なお、長谷寺と壺坂寺は847年に准官寺である定額寺になりました。

観音の功徳が人々に広く浸透していたことがわかるのが説話の存在です。仏の教えを広めるために編まれた話を説話といいますが、観音様だけに単独の説話集があり、これが他の仏様と違っているところです。沢山の観音説話があったことが文献に残っていますが、残念ながら大部分が散逸してしまいました。現存の主なものに、慶政上人が著した「観音験記」と鎌倉期に編まれた「長谷寺験記」があります。

 
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