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旅紀行&フォトギャラリー

■ タツァン・ジョカン ■

セラ寺 チェ・タツァン

メ、チェ、ンガパの三つのタツァン(学堂)
■メ・タツァンは顕教を学ぶ学堂。ここの主尊である能仁仏(シャカムニ)は、名匠ケギェ・ジャンパリンをわざわざサムイェ寺から召聘して製作させたもの。
■チェ・タツァンはメ・タツァンと同様、顕教を学ぶ学堂で、その規模はセラ寺最大。主尊は、馬頭観音。子宝にご利益があり、願掛けをする女性巡礼者も見られる。また、学童の東側では多くの僧侶が独特のジェスチャーで門答を繰り広げる中庭もある。平日の午後に行われ、自由に見学できる。
■ンガバ・タツァンは、密教を学ぶ学堂。規模は一番小さい。ここの十八羅漢像は、それぞれの中に永楽帝から贈られた白壇製の小さな十八羅漢が納められている。
セラ寺 チェ・タツァンの東側の中庭
(問答修行の様子 立:問者/坐:答者)
ジョカン正面の屋根
ジョカンの正面
ジョカンの屋根に鎮座する金色臥鹿(右)



ジョカンの法輪は金銅をうち出してデザインしてある。
話:羅薩(ラサ)地区ガイド曽麗容
ジョカンは、羅薩(ラサ)の旧市街地区の中心にある7世紀中期に創建された吐蕃時代の寺院で、正確には、本殿である「ジョカン寺」とその周囲を取り囲む「トゥルナン寺」から構成されており、ジョカンはその通称です。その創建には次のような伝説が残されています。吐蕃の名君「ソンツェン・ガムポ王」は羅薩(ラサ)に遷都し、チベットの統一を成し遂げました。やがて強大になった吐蕃は唐に婚姻をせまり、唐の皇族の「文成公主」を迎え入れることとなりました。彼女は羅薩(ラサ)に到着すると、持参し
た釈迦牟尼像を祀る寺院の建立に乗り出し、天地の相を観察した結果、龍の頭に当たる場所に「ラモチェ」をたてました。これを聞いてネパールから嫁いできた「ティツン王女」も寺院の建設に取りかかりました。しかし、どういうゆうわけか夜の間に建物が壊されたため、文成公主に相談しました。文成公主は天象・地相を占い、ふさわしい場所を探そうとしましたが、そのとき羅薩(ラサ)の地形が凶相をしていることに気付き、相を変えるために湖を埋めて寺を建てることにしました。こうしてできたのがジョカンだということです。
しかし、実際はソンツェン・ガムポの死後、その苔提寺として建立された寺院で、現在ここにティツン王女の持参した十一面観音像と文成公主の持参した釈迦牟尼像(当初ラモチェに祀られていたが、いつの間にかジョカンに移された)が併せて祀られていることから、二人の王妃が協力して造営したものと考えられています。
を打ち出してデザインしてある

ジョカンの2階から見たポタラ宮
ジョカン正門前
(巡礼者が五体投地を行っている)
ジョカンは、25,100?の面積を持ち、正面の屋根に輝く法輪と二頭の鹿をシンボルとする寺院です。凹型の正門は、巡礼者が五体投地を行う場所になっており、そこの石畳は磨耗でつるつるになっています。またそこには釈尊の髪から生じたといわれる柳の木、18世紀に流行した天然痘が二度と流行しないようにと建てられた「痘痕碑」と821年に唐と和平を結んだときに建てられた「唐蕃会明碑」などがあります。左右に四天王像が並ぶ正門を入ると、すぐに中庭にでることができます。その左手にダライ・ラマの王座があり、その奥の暗がりにジョカン寺が見えます。


バルコルをコルラ(時計回りに巡礼)する
チベットの人たち

バルコルは、ジョカンの周囲をぐるりと巡る道のことで、チベット族の人たちの巡礼道である。朝早くから、コルラをするために、訪れる人たちがたくさんいるそうだ。日中ここには多くの店がオープンし、巨大な市場と化す。場所によって、衣類などの生活必需品やみやげ物を扱う店や灯明用のバター、マニ車などの仏具を中心に売る店が集まっていて品物は豊富。また、製品も中国製あり、ネパール製あり、インド製ありでみているだけでも楽しい。