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■ 武候祠 ■
武候祠は三国志の蜀の英雄たちを祀ったところ。対聯「三顧頬煩天下計、一番晤對古今情」
 
中国には14の武候祠があるが主君の劉備の祠堂が並んで建てられているのはここだけ。入り口の門には漢昭烈廟と書かれた額がかかっている。これはかつて劉備の祠堂に併合されたときの名残で、清の時代に二つに分離された。
参堂
劉備
諸葛亮孔明
劉備玄徳、三国志の主人公の一人。筵売りから身をおこし、放浪しながら実力をつけ濁漢帝国の皇帝となる。曹操、孫権らのライバル。漢帝国の再興をめざすことがならず、志しなかばにしてたおれる。「三顧の礼」、孔明を軍師に迎えたとき、孔明宅を訪ねたが、1回は不在、2回目は寝ていて、3回目にやっと孔明に会うことができたという故事より、「目上の人が賢人に礼を尽くして仕事を頼むこと。」の意として、のちに成語された。孔明は、「わが主君は、粗末なわが家に何度も足を運んで、頭をさげて下さったのだ。」と感謝し、孔明の子孫は、代々皇帝を支えたといわれる。
 
諸葛亮(しょかつりょう)・孔明(こうめい)中国、三国時代の蜀漢の宰相。181〜234。亮(りょう)は名、字は孔明。諡(おくりな)は忠武。「臥龍」と称される。襄陽の隆平に隠れていたが蜀漢の劉備の三顧の礼に応じて仕え、戦略家として活躍し、天下三分の計を説き、孫権と連合して赤壁の戦に曹操を破った。後、五丈原で司馬懿(しばい)と対陣中病没。著「諸葛武候文集」。
鳳統士元、諸葛亮孔明の「臥龍」に対して「鳳雛」と呼ばれた人。孔明と並び称された名軍師。容貌は孫権が一目見ただけで嫌ってしまったという。酒を好み、張飛と気があったと伝えられ、孔明にはない人柄が伺える。劉備の下で働いたのは短く、「落鳳坡」にて36才の若さで没す。彼が生きていたら、蜀の運命はもっと変わっていたと思われる。
 
昭烈帝廟、劉備は昭烈帝と謚号される。この裏に劉備が眠る廟所がある。
劉備の廟所は円形で、回ることができるようになっている。つまり、円墳のような形。その途中に、大きな香炉が、置いてあった。劉備を慕って、多くの人々が、お参りするのだろうか。