墻外道人(しょうがいどうにん・高田道見) 編纂 
第1 序言
拳骨和尚(げんこつおしょう)といえば、3歳の児童もよくその名を聞いているようであるが、さてその実伝はどうかというに、それは80の翁媼(おうおう)でも詳しいことは知らぬ。それはその筈。今の世に名声の赫々(かっかく)たる人でも、その実歴はどうかと尋ねてみれば、どうもハッキリしたことが分からぬようなもので、今より30余年も前に逝(な)くなられた師の生涯を知ることは、なかなか難しいことで、とてもその真相を描き出すことは出来なかろうと思う。真相どころか、師の片影(かたかげ)だに描き出すことは出来まいけれど、あるいはその古文書により、あるいはその口碑(こうひ)により、種々の方面より材料(たね)を収集し、もって聊(いささ)かの真を置くに足るべき部分のみを、書き綴ってみようと思うのである。また、今の内にこれをまとめておかねば、終にその材料(たね)も紛失して、可惜(あたら)この空前絶後なる大力無双(たいりきぶそう)の偉人が忘れられてしまうであろう。してみると、師の伝を綴(つづ)るは、師をして蘇生(そせい)せしむる様(よう)なものである。故に、慎重の態度を以て能く吟味を遂(と)げねばならぬ。吟味は遂(と)げたつもりであるが、力量不足のために、或いはやや想像に属する事柄と、或いは見聞に漏れた逸話も多かろうと思われど、それは是非に及ばぬこと。今は、しばらく管見(かんけん)のままを記しおくゆえ、足らぬ所は更に大方(たいほう)の教えを乞う事とし、一般のみを記述するつもり、隔靴掻痒(かっかそうよう)の感あるはやむを得ぬ。
【語注】
翁媼 おうおう 老人に対する尊称。翁(おきな):男性の老人の尊称。媼(おうな):女性の老人の尊称。
口碑 こうひ 言い伝え。伝説。「口碑に残る」
可惜 あたら 〔立派なものが相応に扱われていないのを惜しむ意〕惜しいことに。もったいなくも。
「可惜好機を逸した。」「可惜有能な人材を失ってしまった。」「いみじき可惜つはもの一人失ひつ/源氏(浮舟)」
大力無双 たいりきぶそう 大力:非常に強い力。また、その力をもつ人。強力(ごうりき)。
無双:比較するものがないほどすぐれていること。並ぶものがないこと。二つとないこと。また、そのさま。無比。無二。無類。
「古今ぶそう無双」「天下ぶそう無双の男」
管見 かんけん 〔管の穴から見る意〕より転じて、(1)見識がせまいこと。(2)自分の知識・意見をへりくだっていう語。
大方 たいほう 見識の高い人。
一般 いろいろの事物・場合に広く認められ、成り立つこと。特別でないこと。普遍。
隔靴掻痒 かっかそうよう 〔「無門関(序)」より。靴の上からかゆいところをかく、の意から〕思いどおりにいかなくて、もどかしいこと。
「隔靴掻痒の感」