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墻外道人(しょうがいどうにん・高田道見) 編纂 | ||||||||||||||||||||||||
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第1 序言 |
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拳骨和尚(げんこつおしょう)といえば、3歳の児童もよくその名を聞いているようであるが、さてその実伝はどうかというに、それは80の翁媼(おうおう)でも詳しいことは知らぬ。それはその筈。今の世に名声の赫々(かっかく)たる人でも、その実歴はどうかと尋ねてみれば、どうもハッキリしたことが分からぬようなもので、今より30余年も前に逝(な)くなられた師の生涯を知ることは、なかなか難しいことで、とてもその真相を描き出すことは出来なかろうと思う。真相どころか、師の片影(かたかげ)だに描き出すことは出来まいけれど、あるいはその古文書により、あるいはその口碑(こうひ)により、種々の方面より材料(たね)を収集し、もって聊(いささ)かの真を置くに足るべき部分のみを、書き綴ってみようと思うのである。また、今の内にこれをまとめておかねば、終にその材料(たね)も紛失して、可惜(あたら)この空前絶後なる大力無双(たいりきぶそう)の偉人が忘れられてしまうであろう。してみると、師の伝を綴(つづ)るは、師をして蘇生(そせい)せしむる様(よう)なものである。故に、慎重の態度を以て能く吟味を遂(と)げねばならぬ。吟味は遂(と)げたつもりであるが、力量不足のために、或いはやや想像に属する事柄と、或いは見聞に漏れた逸話も多かろうと思われど、それは是非に及ばぬこと。今は、しばらく管見(かんけん)のままを記しおくゆえ、足らぬ所は更に大方(たいほう)の教えを乞う事とし、一般のみを記述するつもり、隔靴掻痒(かっかそうよう)の感あるはやむを得ぬ。 |
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【語注】
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