▼ 曹洞宗(そうとうしゅう)には、古来、転衣参内(てんえさんだい)ということがあって、転衣というは大本山に登り一夜住職を為し、本山より公文をというものを下付せられ、従来、黒衣(こくえ)であったものに色衣(しきえ)着用の事を許さるゝの宗規(しゅうき)。夫れで以て大和尚の位(くらい)になるのである。次に京都に出で参内を許されて御綸旨を頂戴し、寶祚長久(ほうそちょうきゅう)国家安全(こっかあんぜん)を祈る旨を仰せ出されたのである。御一新以来、この御綸旨は廃されたれど、転衣の式は依然として昔の通り。
師は安政七年九月の上旬、この転衣参内の為、尾道より大阪に登り、同所より三十石の川船に乗り込まれ、伏見に渡らるゝ時、盗難に遭われた奇談がある。
船中にて熟睡中に三十圓の金が盗まれた。眼が醒めて懐中に心付き見らるゝに、財布込めにないなら、『ハァ誰か乗り合いの者の中に手癖の悪い奴がいやがるナ』と思われたれど、別に騒がれたれもせず、船頭その他に語りもせず、平気な顔にて船頭に向かい「コレ、船頭殿、この船を元の大阪に引返されよ」と申さるゝゆえ、船頭は呆気にとられ「坊さん何を言わしやるのぢゃネイ。この船がどうして引返されるものですか。何でそんな事を言わしやるのぢゃナ。坊さんは何れのお方か知りませぬが、この船がアナタの自由になるのものぢゃありませんよ。外のお客様も大切に取り扱わねばなりません。最もお客様一同からのお頼みならば兎も角、夫れとてこの船は御承知の通り大阪と伏見の間を上下(じょうか)する定船(じょうせん)にて私らが上(のぼ)らなければ外の下り船も困るわけ。是非大阪に御用がお有りなさるゝ事ならば、これから陸地へお上がりになれば参られますゆえ、アナタだけ上陸して下さいまし。」という。船頭の言うところ御尤(ごもっとも)に違いはない。されど、師は盗難について別のお考えがあるので、夫れとは言わず詮方が無いから粟田の宮様より三十石御免の旗を出し「船頭殿、此方(おれ)はこういうものを持っておるから申したのぢゃ。夫れでも彼れ此れ(かれこれ)言うのか。」と威迫(おど)されたところが、船頭は恐れ入り、客も亦(また)不思議に思いしかど敢えて理屈をも言わず、船頭は如何なる訳と言うことを知らず、やむなくその船を逆戻りになし、大阪の方に向けた。師はまた眠るが如きの体(てい)をなしをらるゝに、中途の川辺より便借りの新客が乗り込んだ。時に師の申さるゝよう「この船をまた伏見の方へ上(のぼ)せよ。」と船頭及び客人一同は益々不思議の感に打たれたれど、理屈を並べるわけにも参らぬゆえ、またやむなく船を振り回し元の如く漕ぎ付けてをる。
此の新客こそ疑うべきである。けだし此 の新客が乗船したのは最前の上り船とは気が付かず、別なる船と思うたから乗り込んで一仕事を致そうと考えた、いわ ゆるスリ泥棒である。師はどうしてここに気が付いたか不思議?
時に師はその新客に何か言わんとせらるゝ顔つき。見れば大阪川口にて見合いしお客の坊様。新客は素(もと)より以前の上り船とは存じもよらぬ事なれば只呆然として、此れはシタリ自業自得、我が身の悪業を覚(さと)られたのではあるまいか。和尚からいわれぬ先に自白して罪を遁れようか、それにしても多人数にて愧入(はじい)る次第、如何せんかと躊躇の有様。さながら、面白(めんしょく)は土の如く、胸はドキドキ、我が身の鬼は益々我が身を責めてヂッとして居ることができない、苦しさの余り身を容るゝの地もなきほどに迫り、頓(とん)に水死をも謀らんとする周章狼狽の有様。
師は未だに口にこそ語らねど、眼(まなこ)は口に程物を言う? 師の鋭き眼孔をもて睨み付けられてはたまったものではない。どうも悪いことはできぬものぢゃ。
時に師は口を開き、「これこれ彼処(あそこ)の新客、最前の金を借用させて下され」と。いよいよ黒星を指されたものぢゃによって、最早(もはや)、隠すにかくされず、平身低頭慚愧(へいしんていとうざんき)の余りいろいろ詫び言をなしソックリ返金したので、船頭を始め客人一同が初めて不審をはらし大いに感服したと言うことである。
此れが通常の人ならば必ず捕らえて 官に訴えもするであろうけれど、さすがは慈悲深き師の事とてその罪をも問わず、却って懺悔改心せしめられたのは、偉人の偉人たる所以。余人の企て及ばぬ所である。
▼ 又あるとき、京都三条通りを通行せらるゝ折り、小童(こわらべ)が師の懐中に手を入れ物を盗もうとした時に、師はすかさず子丁稚の頸玉(くびだま)を摑み暫時息を止められた。市中のことであるから忽ち大勢の人が集まり見物なして山の如く? 暫くあって活を入れてやられ、種々説諭を加えて放免せられたそうである。見物の人々は師の殺活自在(せっかつじざい)なる手際に感じ入ったとある。
▼ 夜盗に閉口す。
師は何事にかけてもツイぞ閉口せられたと言うことを聞かないが、ある時、尾道の某家にて金三十圓を貰い、夜の十時頃済法寺に帰りかけられた其の町外れに一人の夜盗が待ち伏せ「モシモシ、和尚サン。彼方(あなた)は今夜、金を持って居なさるでありましょう。私はよくそのことを存じています。一時、借用致したいと思いましてここに待っていたのです。どうぞ有り丈、借用させていただきたいものです。」と六連発の短銃を以て師に向こうた。その距離は僅か一・二間。彼此れ仰るならば此れですと、其口(そのくち)を師に差し向けての脅迫。マサカ其位(そのくらい)なことに閉口する弱武者の師ではなけれど、折角と向こうが欲しがる物を僅かに三十金ばかりのものを惜しんだからとて仕方がない。それほど欲しがるものならば呉れて遣(や)るのも宜(よ)かろうと思われたものと見え「イヤ。それはご苦労であった。天下に聞こえた物外(もつがい)も貴公の短銃には閉口である。貴公、夫れほどお金に窮して困るなら、ソックリ貸して遣ろう。必ず返すには及ばない。サアサア、持って行かれよと渡して遣られたと云うことである。
師は前記の如く、武道の名人。夜 盗の隙を見て、其の短銃を奪い取り、 拳骨の二つや三つ入れて放免せらるゝ事のできぬ人ではなけれど、その事を為さず少しも争わないで、其の 金を放り出されたところが、無欲なる禅僧の真面目(しんめんもく)である。且つ又、夜盗などを相手に武 術を乱用せられぬ所が、武人の武人たる所以。偉人の偉人たる価値にて、 其処に無限の興味がある。