墻外道人(しょうがいどうにん・高田道見) 編纂 
第7 雨請(あまごい)
師が済法寺の招待(しょうだい)を受けて住院された後(のち)、天保年間に大旱魃(おおひでり)があって、近郷数村の田畑が乾いて稲がみな枯れそうになったことがある。所で、人民が大いに心配をなし相寄って相談するに、「今度、済法寺の住持になられた物外禅師というは、世にも名高い和尚じゃという評判であるから、あの和尚様に雨請(あまごい)の祈祷をして貰うと良かろうではないか」と発言するものがあったれば、何れも一言となく「それは良い考えじゃ。お頼み申すがよかろう。」と相談一決して師に頼んだところが、師は直に承諾せられ農民等に申されるに、「このたびの旱魃(ひでり)は非常なもので、尋常一様の祈祷では霊験も覚束ないと思われる。就いては、当寺の梵鐘を龍神に献じて、八代龍神の加護を仰がなければ願望が成就すまいと思う。されど、この梵鐘には施主家があることゆえ、それに無断で献ずるわけにも参らぬから、貴殿方(おまえがた)と此方(このほう)と同道して施主家の承諾を得ようではないか。」とて、その家に行き、事の仔細を述べられた所が、「村々の為になることであれば。」と、その主人も直に快諾したから、大勢の者どもに其の百貫目以上(一貫=約3.75?)もある梵鐘を下ろさせ、それを吉和村の海辺に運ばせ、船と船の両間に繋ぎ、これを海上に浮かべ、十七日の間、昼夜を分かたずして祈願することとし、『龍神。もし、雨を降らしたらんには、その報酬として此の梵鐘を海中に沈むべし。』と念じ、身体を清浄にし、香をたいて船中に坐禅入定(ざぜんにゅうじょう)せられた。そうして、一週の日も将に満たんとするや、天の一方より黒雲起こり、波涛また従って起こり、見る間に大豪雨となり、三日三夜(さんじつさんや)の間、降りしきって、田畑山林の草木五穀が蘇生復活の色を呈したのである。
そこで、約束の通り梵鐘を海中に沈めようとするに際し、その梵鐘の施主家なる主人は何を思ったのか、我が家に掲げてあった半鐘を持ち来たって申すに、「願望が既に成就したからには、どうぞこの半鐘を以て、大鐘に代えられとうございます。」と。時に師の申されるに、「貴公(あなた)は過日予め献納の事を相談せりし時、快く承諾せられたではござらぬか。今、この大雨を得て、大鐘の代わりに小鐘を献ずるは、龍神を欺くことになるので、不敬この上なき事じゃ。このたびの潤いは実に数十万の人々を救ったのであって、如何にも我が精神を籠めて誓いたる事を破るということは、実に忍びえぬ所でござる。」とありたるに、主人は「そもそも、神仏への奉納の品というものは、たいてい雛形のものです。殊に、この梵鐘は我が祖先冥福の為に奉納したもので、貴僧(あなた)がこれを自由になさろうというのは、ご無理かと思います。」と。時に師は大いに怒り、「どうも、一旦快諾しておきながら、今となって、かれこれ言うは理不尽の事というもの。左様なことを申されるならば、我も大いに決心する所がある。」とて、ただちに座を立ち、その大勢の者で大騒ぎをなし運び出した両船の間に釣り下げってあった梵鐘を、大喝一声を以てその竜頭を執り大鐘を頭上にのし上げ、二・三間(一間=約1.818m)も遠くの海中へ投げ込まれた。所で、その主人は大いに驚き、且つ師の怪力に恐れを生じ、却って己の違約を詫びたという事じゃ。
この時までは、まだ土地の人が師の怪力を知らなかったので、梵鐘の施主が怖(ふる)え上がったのみでなく、近郷近村の人々がその勢いを見るや、何れも皆舌を捲いて驚嘆したのである。雨降(あめふり)の霊験もありしに、驚喜しておる途端に図らず師の怪力を見たものじゃ。由って、土地の人々は天狗でも乗り移ったのであろうか、金剛夜叉の再来であろうかと、肝を潰さなかった者はいなかったという。それから、農民は無論、尾道の町民までもが済法寺に到り、酒樽を持ち込みやら、餅をついて献納するやら、野菜ものを持参するやらして感謝の意を表したとある。
さて、不思議なるかな、それより程経て後、その百貫以上もある梵鐘が漁師の網に掛かり海岸に浮き上がったのである。時に漁師たちが思うに、『これは、済法寺の釣り鐘にて、物外禅師が雨請(あまごい)の時、龍神へ献上せられたのであるが、この重い百人力以上もかからなければ動かぬものが、今軽々と網に掛かってここに揚がったのは、不思議千万といわねばならぬ。だから、此は龍宮様が物外様にお返しになったのであろうから、すぐに済法寺様にこの事を申し上げるがよかろう。』ということになり、とにかく、二・三百人の漁師が寄って掛かって海岸に引きずり上げた。潮(うしお)と共に海岸近くまで軽々と揚がったものが、潮(うしお)を離れるや梵鐘元来の重量となったのも実に不思議千万といわねばならぬ。
それから、漁師達は総代を撰び、この事を師に告げたれば、師は大いに喜び、それでは龍神が返して下さったのであろうと、総代達と同道して海岸に到りご覧になると、梵鐘の上部にある鱗を見たような瘤(こぶ)が八個ほど欠けておる。師はこれを一見して仰せられるに、「ははぁ…。此は八大龍王が一個ずつ受納せられたので、済法寺返すとの神意に相違ない。定めし、梵鐘の施主家も満足するであろうと、師はその龍頭を執り軽々と一人で肩に載せて寺の門前に到り、その高き石段をも苦ともせず、他の者が一・二貫目ほどの物を背負って登るが如く、易々(やすやす)と登りつめ、もと掛けてあった本堂の前に吊されたのには、前日の驚きよりも、一層に驚きが甚だしかったという事じゃ。


【語注】
招待 しょうだい 請われて、寺院の住職として、招かれること。
龍神 りゅうじん (1)龍の姿をして水中に住み、水をつかさどるとされる神。農業と結びつき雨乞い祈願の対象となり、漁師にも信仰された。
(2)仏法の守護神。天龍八部衆の一。
坐禅 ざぜん 仏教の中心的修行法の一つで、特に禅宗においては根幹をなす修行。
入定 にゅうじょう 禅定(ぜんじよう)の境地にはいること
竜頭 りゅうず 釣り鐘の頂部につけた、梁(はり)にかけるためのつり手。
八大龍王 はちだいりゅうおう 仏法を守る八体の龍神。すなわち、難陀・跋難陀・娑迦羅・和修吉(わしゅきつ)・徳叉迦・阿那婆達多・摩那斯・優鉢羅の称。雨や水に関係するとされることが多い。八大龍神。