墻外道人(しょうがいどうにん・高田道見) 編纂 
第8 拳骨
師の強力無双なることは、雨請(あまごい)と梵鐘の一事に就いても、その大略を知ることができるのであるが、その実師の怪力は何程(なんぼ)あるやを知ることができなかったのである。当時の人は評して、二百五十人力といったが、それも実は側(がわ)から推測したまでのことで、実際のことは分からなかったのである。故に、怪力というより外(ほか)に仕方がない。その位であるから、師がひとたび拳骨を入れらるれば、堅木(けんぼく)もまた凹む(くぼむ)のである。けれど、徒(いたずら)に拳骨を濫用(らんよう)せらるる様なこともなし、滅多にその力を出さるるようなことはなかったので、よほど憤激せらるるか、さもなければ非常に意気込まれぬと、本当の拳骨力は出なかったのである。師の生前を知っている人より聞くに、師がわざわざ碁盤にでも拳骨の跡を遺そうとして入れらるる時は、玉袢(たまだすき)を掛け、非常なる力を籠め(こめ)、さも恐ろしそうなる身構えをなし、その勢いに乗じて入れらるるとのことである。この事を知らぬものは、何でも無きことのように思うておるから、今拳骨の逸話を記す前に一言しておくのである。今でも済法寺には、和尚の入れられた拳骨の跡がついておる碁盤がある。



尾道の新地(しんち)と称する所に海徳寺というがある。その寺の中庭に於いて角力(すもう)の興行があったとき、師も見物に往って(いって)おられた。その時の大関は御用木(ごようぼく)と申すもので、産まれは豊前。将軍上覧の相撲(すもう)にて、当時、日の下開山(ひのしたかいさん)の横綱不知火(よこづなしらぬい)を倒して、天杯(てんぱい)と緋の裃を拝領したなかなかの剛力者(ごうりきもの)…。師は生来、脱洒(だっしゃ)な人で美服を飾るということが大嫌い。そこでいつもかも、破れ衣をきておらるるもの故、知らぬものは高僧とも何とも思わない。何とも思うておらないところで、案外なことがあるから世人が驚くのである。
さて、角力(すもう)が始まって段々佳境に入り、御用木(ごようぼく)が土俵場に出たとき、和尚も興に乗じ「大関、しっかりやれ。」と、思わず識らず側から評せられたのが、御用木の耳にはいったものとみえ、それが癪に障り、「失敬なことをいう。」といえば、関取の中に和尚と懇意なものがあり「あれは済法寺の物外(もつがい)様とて、大力無双のお方でござるから…。」と斟酌(しんしゃく)すれば、御用木が申すに「なに、大力無双なぞとは…。如何に物外(もつがい)の力が強いからとて、あの小さな総身が皆力(みなちから)であろうとも知れたものじゃ。」との漫言が和尚の耳に入り、和尚もムッとせられたものとみえ、和尚は御用木(ごようぼく)に向かい「貴公(きこう)、そんなことを言うなら、試しに己(おれ)の拳骨を一つ受けてみよ。」と…。和尚もまだ壮年血気の時であるから、どうも忍ぶに忍ばれなかったものとみえる。すると、御用木(ごようぼく)が腕を出して「受けるから、入れてみたまえ。」というを、関取共が寄り集まり、御用木(ごようぼく)を諫め(いさめ)扣え(ひかえ)させ、和尚に断りをして都合よく仲裁を致した。見物の諸人(しょにん)は予て大力の和尚なることを知っておるもの故、どうなるものかと手に汗を握り、角力(すもう)はしばらく中止の姿となって、此方(こなた)ばかりに視線が注がれた。
時に師は、「ああ、残念である。」と一声叫んで、海徳寺の表柱へ拳骨を入れられたれば、その柱が凹んだ(へこんだ)ので、御用木(ごようぼく)も驚き見物人も非常に驚いたということである。



師が青年の時、江戸の某寺に掛錫(かしゃく)しておられた。若いおりから碁がすきであったものとみえ、一日、蔵前(くらまえ)という所をブラブラと素見(ひやかし)ておられた所が、古道具屋の前に如何にもお気に召した碁盤の売り物があるので、それが欲しくなり、「これこれ、ご亭主殿。この碁盤は何程(なにほど)で売るのじゃ。」と問われれど、例の破れ衣を着て、殺風景な雲水であるから、亭主はほんの素見(ひやかし)じゃとみてとり、碌々(ろくろく)に挨拶もしない。師は真面目(まじめ)に再三問われるから、亭主も商売のことなれば、相手にならぬ訳にもいかず、「はい。それは、一両二歩でござります。」と答えた。「そうか、今は持ち合わせの金がないけれど、数日の後にはきっと買いに来るから、ほかへ売らずにおいて下さい。」 道具屋「はい、私の方も商売のことでござりますから、買い手がつけば何時(なんどき)でも売らねばなりませぬ。それゆえ、只売らずにおけと仰っては困ります。是非お求め下さるるならば、幾分かの手付け金をおいて下さいまし。そうでなくては、保存しておくわけにまいりませぬ。」 物外「でも、今はその手付け金も持ち合わせはない。そうならば、こうしておこう。」とて、碁盤をひっくり返して鉄拳をかためて、その裏面(うら)に押されたれば、その拳影がありありと跡付いて見ゆるものゆえ、道具屋も大いに驚き、これは凡僧でないと思うたものとみえ、二言に及ばず、承諾してその宿所を記しおき、翌日自ら師の許へ持参したと言うことである。

こういう話しは、まだ幾らもあろうと思う。


【語注】
濃く明るい赤色。深紅色。
脱洒 だっしゃ 外面的なことにとらわれず、俗っぽくなく、さっぱりしていること。あかぬけしていること。また、そのさま。
美服を飾る びふくをかざる 外面的なことばかりを気にして、繕うこと。
佳境 かきょう 興味深い所。おもしろい場面。
掛錫 かしゃく 錫杖(しやくじよう)を僧堂の鉤(かぎ)にかけておく意。
禅僧が行脚の途中他寺に長く滞在すること。転じて、僧堂に籍をおいて修行すること。駐錫。
蔵前 くらまえ 東京都台東区浅草、隅田川の西岸の地名。
素見 ひやかし 物をただ見るだけで買わないこと。また、その人。
(すけん・そけん)
何時 なんどき どのようなとき。どんなおり。副詞的に用いる。
手付け金 てつけきん 売買・賃貸・請負などの契約締結の際に、契約の証拠、違約損害の補填、解約権利の留保として、買い主や注文主が相手方に渡す金。いずれ代金に含めるが、代金そのものではない。手金(てきん)。てつけ。
凡僧 ぼんそう 凡愚な僧。